備長炭の名は、炭問屋、備中屋長左衛門という人物名に由来しています。 「備中屋長左衛門」は紀州田辺藩城下町に代々伝わる炭問屋の取扱商人でした。 彼は元禄年間頃(西暦1730年)、田辺周辺で扱っていた木炭を、江戸日本橋青物町 の問屋へ出荷し始めたそうです。 硬質で品質に優れたこの炭は当然うなぎ屋などで大好評を得、この大ヒットを機会に自分 の屋号をとり「備長炭」名付けたのです。 その名は瞬く間に江戸中に広まり一躍有名となりました。 彼が備長炭の発明者だ、という説もありますが、彼は名付け親であり、備長炭を世に広めた 当時の「仕掛人」だったのです。 実際の発明者は記録には残されていませんが、田辺市秋津川の無名の炭焼き師だったと地 元では伝えられています。 この世に備長炭という名を残し、木炭産業発展に多大な貢献を果たした備中屋長左衛門は、 1783年深見長左衛門の名で大年寄の任につき、享保15年に没し、法名「宝誉随心恵 之居士」として田辺市元町浄恩寺に葬られています。 しかし、備中屋長左衛門と言う名前は享保から嘉永年間の約120年間(1730〜1850 年)に4代にわたって引き継がれていたそうです。